トップページ | 2008年5月 »

2008年4月

「あたり前」のこと

昨日の文章の続き、というか補足のようなもの。

文学でも音楽でも、まずは大元の作品(文章だったり楽譜だったり)を読み込むことから始める、と書いた。「そんなことは当たり前」という反応が身内からあったし、またそう考える方も少なくないだろう。あのように書いたのは、まず私自身が恥ずかしながら、そこに至るのに少々時間がかかった、ということが大きかった。学生の頃は、卒論でも、学生オケやヴィオラの個人レッスンでも、まず「誰か」が書いたもの・演奏したものを読みまくり、聴きまくって、挙句の果てにそれらに振り回されては、「結局あなたは、どう感じているのか」と根本的な問題を突きつけられたものだった。

もはや古典になりつつあるものもあるが、各種の現代文学理論では、「虚心坦懐にテクストを読むだけでは、文学解釈は成り立たない」という主張が声高になされている。しかし、本当にそうなのだろうか? 確かに、文学でも音楽でも作品はあくまで芸術として昇華されたものであるから、そこに作者そのものの姿を見るのは誤りだろう。だが、テクストを読み解くための共通した鍵(ナントカ理論)などあるわけもなく(そんなに芸術は底の浅いものではない)、「初めに解釈のテクニックありき」の姿勢は、不当に作品の本質を歪曲する危険性が非常に高い。ましてや「『○○理論』のための●●理論」といったように屋上屋を架しているとしか思えない「発展」を繰り返している現代文学理論とは、一体何なのであろうか。

そう思うからこそ、「まずは作品と向き合うべし」という考えを持っているのだが、最近は意外にも、この「当たり前」のことがいい加減にされている感じがしてならない。最近もてはやされている本に多いのだが、あたかも快刀乱麻を断つかのような文章でも、「どれもこれも、どこかで読んだことあるぞ」「だから、何?」という内容であることも少なくない。資料の扱いかたそのものに疑問を感じることも多い。浅い傷のほうが一見出血量が多いように、スパっと切れるような文章ほど、案外底が浅いものなのかも知れない。「切れ味鋭い文章」に煽動されないように留意したいものである。(08/04/28)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

先人を身近に感じる瞬間

いま、R.シュトラウスとホフマンスタールのオペラ『ナクソス島のアリアドネ』に関していろいろと考えを巡らせている。

私のやり方は、まず作品そのもの(文学という立場上、演奏よりもまずリブレットということになるが)を、読み込んでみるところから始まる。もちろん、論文などは先行研究なしには成り立たないのだけれど、先行研究は当然その研究者の視点からなされているわけで、いわば他人の眼鏡を通して作品を見ることになる。だから、まずはそのような「先入観」なしに、作品とじっくり向き合ってみる必要があると考えているわけだ。そうして、共感するところ・疑問に感じる点などを、おぼろげながらも炙り出しておいてから、先行研究に眼を通してみると、「なるほど~」と思ったり、「そうかー、気付かなかった!」という新たな発見などがアンテナに引っかかりやすくなる。膨大な先行研究がある場合には、やみくもに読み進めるよりも、ずっと自分に沿った資料の選択をしやすくなるのだ。

とまあ、こう書くと何だかエラそうに見えてしまうかも知れないが、かようにいつも先人と格闘しているわけだ(私の絵の先生が、画壇の大御所に勧められて哲学書を紐解いた際に、『これは脳みその格闘技だ!』と呆然とした、とおっしゃっていたが、ちょっとそんな感じだ)。ちなみに、楽器を弾く時にも同様に、譜読みの段階ではあまり“参考CD”は聴き過ぎないようにしている。もちろん、ある程度曲に慣れてきたら、できるだけ多くの演奏を聴くことになる。

そのような感じで、今回もリブレットを通してホフマンスタールと向かい合っていて、どうしても解らない箇所に出会った。未熟ながら考えうる限りの可能性をどう総動員してみても、なんとも五里霧中な感じで参った。行間の奥深さに後から改めて気付くことは珍しくはないが、ここまで壁が立ちはだかるのもまた珍しい。2,3日ウンウン唸ってみても解らなかったので、「?」マークをたくさん付けて、そこはスルーしていた。

ところが、一通りリブレットを読み終わり、今度はシュトラウスとホフマンスタールの往復書簡に目を通し始めたところ、『アリアドネ』に関して交わされ始めた割と早い時期の手紙に、他ならぬシュトラウス自身が、同じ箇所を示して「私にはどうもよく解らないのですが・・・」と戸惑い、「???」とクエスチョンマークを3つも付けているではないか!

これはすごい!!と、独り快哉の声を挙げてしまった(大袈裟だ・・)。やっぱり、シュトラウスほどの人でも解らなかったのだから、自分に解らなくても当然だ・・・と、いささか後ろ向きな「共感」の仕方だけれど、ホフマンスタールとシュトラウスの二人を身近に感じてしまったのだった。

いったん、そういう気持ちにとらわれて二人の書簡を読み進めると、「いまや私の分身である貴方から、長い間手紙がないと心配でたまりません(ホフマンスタール)」「おかしなことをおっしゃいますね。私から便りが欲しいというのなら、まず貴方が何か書いたもの(=台本)を送ってくださらないと。そうして初めて貴方は私の便りを読むことができるのですよ!(シュトラウス)」といったやり取りにまで人間味が感じられて、思わずウフフと微笑んでしまう。

ときおり、どうして自分は作品研究をせずにはいられないのかな、と自問してみるのだが、やはりこういう瞬間を感じたいからなのかも知れない。創作の才には恵まれなかったが、自分なりの解釈をすることで、先人の創作過程を追体験したい。そういうことなのだろう。そして、その合間に、ふとした先人たちの眼差しや気配を感じられた時の幸福感は、何ものにも代えがたいものなのだ。(08/04/27)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ステージ・パパ」レオポルトの真実

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの父、レオポルト・モーツァルトは、息子のヴォルフガングを「神童」として売り出した、ステージ・パパの走りだとよく言われる。確かに、結果だけを見る限りではそう見えるかも知れないし、そのような評価を受けても仕方のないようなところはある。だが、本当に現実のレオポルトの行動とは、“初めに目的ありき、目的のためなら手段を選ばず”かのような、商魂たくましいものだったのであろうか。ステージ・パパとの見方は、あくまで結果論に過ぎないのだとしたら、との推理も可能なのではなかろうか。

 他の誰でもないわが子に、尋常ではない才能を見出したとき、その親がとる行動はどのようなものかを想像してみればよい。人によって、またその子どもの性格によって異なるだろうが、レオポルトの場合には、なにをおいても“この子の才能を出来る限り伸ばす”ことに決めた。そうして、既成の枠に収まりきらないほどのヴォルフガングの育成を我が身に背負ったとき、世間に準じた教育の類は全く無効であり、また親である自分も教育者として殆ど無力であることに絶望したのではなかろうか。秀才という名のただの凡人たちが整えた『学問』など、天才のヴォルフガングにとってはともすれば有害無益、彼にとって最も大切なのは、この世界における森羅万象であり、学問という枠とは無縁に流れていく人々の営みである。それら諸々の物事からヴォルフガングが己の才能に適った方法で自らのうちに取り込み、血肉としていくことこそ必要な教育だと、親の直感で悟ったのではないか。そのためには、ひとところに留まるよりも、できるだけ様々な土地での現象を見せ、経験を積ませたほうが良い。レオポルトが、妻と自慢の娘を故郷に置いてまで、ヴォルフガングと二人、当時の危険を伴った旅に出たことの本当の理由は、そんなところなのではなかろうか。

 レオポルトは一種のビジネスとして息子を売り出した、という説を最近目にしたが、実際にそう人々の目に映ったとしても、それは一種必要悪であったとも捉えられる。上記の理由から、レオポルトは、息子の見識を出来る限り広めるためにこそ旅を考えていた。馬車の旅には金がかかる。しかし潤沢な資金があるわけでもなく、息子の音楽を披露することで収入を得られるのなら、さらに旅を続けることもできよう。「息子を商品にしている」という罪悪感(もしあったとしての話だが)と、「息子の才能を伸ばす」という決心とを天秤にかけた場合、どちらを取るか。これもまた人それぞれだろうが、レオポルトは後者を選んだ、というだけの話なのではないだろうか。清貧に甘んじているばかりでは、どこからも救いの手は差し伸べられなかったのだろう。今に語り継がれている数々の逸話は、あくまで旅の結果として後日付いてきたものに過ぎず、レオポルトが初めから仕組んだことでもあるまい。もちろん、身分不相応な賛美を息子が受けるのを見て、親としては単純に嬉しかったことだろうし、また誇らしくもあっただろう。時には調子に乗って、はめを外してしまうようなこともあったかも知れない。だがそれも、言ってみれば所詮「親バカ」というだけである。そのことは、決してそしられる類のことではなかろう。ただ、それに経済的利益という側面が付いてまわることで、当時から妬みの入った目で見られてしまったのかも知れない。けれども当人にとってみれば、周囲の雑音に過ぎないだろう。下世話な例えをすれば、もてはやしたと思えばこきおろす、現代の一部の無責任なマスコミ報道と一緒のこと。

 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトという存在は、やはり「時代が生んだ子」であるよりも、はるかに「神の子」であったのだ。その父レオポルトは、「世間」という、天才にとっての夾雑物を極力排していたに過ぎない。確かに、それは父権という過剰な愛情表現であったかも知れない。息子の天賦の才を、一点の濁りなく守り抜くために、世間だの常識だのなどというあらゆる規範を無視した子育ては、やはり一般に照らせば特異である。しかし、それゆえに、時を経てもなお色あせることのない、数々のヴォルフガングの作品が残されたのだ。レオポルトがいなかったら、それは不可能だったことは確かに思える。天才として祭り上げる過去の偶像崇拝のアンチテーゼとして、モーツァルトにもこんなに人間味に溢れた部分があったのだ、ということを見つけようとするあまりに、我々凡人と同次元に引き摺り下ろそうというルサンチマンは、やはり少々見苦しいし、第一、不遜なことであろう。それよりはむしろ、軽く明るい雰囲気の癒しの音楽としての、昨今流行の受容のほうがよほど健全で、またモーツァルトの音楽には、それを許容して余りある懐の深さがある。それを踏まえずに、眉間に皺を寄せ「モーツァルトの音楽は、そんな軽いものではない!」と声高に言うことは、野暮の極みだ。所詮、下から上を見上げるのには自ずと限界があるのである。自戒を込めて、このことは物書きの嗜みの基本なのだが。

 人間の姿を書こうとするなら、歴史文献だけを並べてみたところで、むしろ見えないことのほうが多いものだ。結果のみにあらわれた「史実/事実」と、「実情」とが異なることは決して珍しいことではない。そして、往々にして「実情」というものは、起こったことを客観的に残すタイプの歴史的な資料には反映されにくい、というジレンマを抱えている。見落とし易いことだが、人間の営みにとって普遍的で「当然」と思われるような実情や真実ほど、シンプルであることも多く、それだけに一層、敢えて資料や文献には残りにくいものなのである。つまり、“豊富な”歴史資料のみで断定することは、マニュアルに過度に頼るのが愚かであるのと同じような、思考過程の危険性を孕むことなのだ。

 ではそのような歴史に対峙し、実情から昇華した「真実」が唯一残り得る場とは何か。それこそが、文学や芸術なのである。連綿と生み出されてきた諸作品が、廃れることなく受け継がれてきたことの真の理由も、そこにある。本当の「わかりやすさ」とは、事実のみに裏付けられた「簡明な」説明なのでもないし、ましてや中身のない薄っぺらな軽さでもない。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの音楽が持つ、「軽妙な優美さ」が、決してそのような軽佻浮薄と同じではない、という言説が真に行き着くべき先は、モーツァルトの作品はそのような場としての芸術作品としてあり続けるからだ、という点に尽きる。史実に必要以上に絡め取られることなく思索をすることで、初めて見えてくる道がある。そのような道を、時代を超えて示すことができるがゆえに、文学や芸術作品は不滅なのである。無論、それらの諸作品に挑むことが、多くの場合がドン・キホーテの愚を犯していることも、また連綿と繰り返されている事実なのではあるが・・・・。(2008/04/13)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

前口上

 これまで、雑誌論文や研究報告に準ずるようなエッセイを、CLASSICAの場をお借りして発表して参りましたが、論文や研究発表にはなり得ないような雑文や、気軽なエッセイ、たまには演奏会の感想など・・・を発表する場として、当ブログを開設することになりました。背中を押してくださったCLASSICAウェブマスターの飯尾さん、どうもありがとうございました。

 私が本格的に音楽に興味を持ったのは、中学生の頃でした。小さい頃からピアノを習ってはいましたが、譜面の通りに音を出して「なんとなく」綺麗な音楽だな、くらいの認識しか持っていませんでした。ところが、作曲家の伝記を読んだり、曲が作られた背景などを知るに及んで、それまでは単なる記号でしかなかった楽譜が、なにやら時空を超えて直接モーツァルトやベートーヴェンにつながっているような気がしてきて、単なる印刷譜でしかないはずなのに、「この音は確かにモーツァルトが選んで書き付けたものなんだ」と、そこからモーツァルトの息づかいが立ちのぼってくるような気すらしたのを覚えています。その息づかいを感じながら、モーツァルトの選んだ音たちを自分がピアノで出す、そのことに本当に幸福な気分を味わっていたのです。楽器を弾いたり歌ったりすることの本当の喜びは、そういうところにあるのではないでしょうか。もちろん、それにはプロもアマチュアも関係ありません。

 楽譜から息づかいを感じる・・・それと似たような感覚を、主に学術的な資料を読んでいる今でも感じることは少なくありません。論文や研究発表では、確かな論拠を示すことは必須条件で、推論も詳細な学術的考察を重ねた上でなされなければなりません。けれども、確かにそのような論拠を示すことはできないし、単なる推測の域を出ないと言われてしまえばそれまでかも知れないけれども、資料の行間から仄見える「事情」や、詩や音楽の余白から立ちのぼる豊穣な響きとでも言ったもの、それら「学術的」という秤からはこぼれ落ちてしまうようなものを、できるかぎり掬い取って行ければ、と思っています。

 このような趣向で書いたエッセイ第一弾として、モーツァルトの父レオポルトに光を当ててみました。お読みいただければ幸いです。(2008/04/13)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

トップページ | 2008年5月 »