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先人を身近に感じる瞬間

いま、R.シュトラウスとホフマンスタールのオペラ『ナクソス島のアリアドネ』に関していろいろと考えを巡らせている。

私のやり方は、まず作品そのもの(文学という立場上、演奏よりもまずリブレットということになるが)を、読み込んでみるところから始まる。もちろん、論文などは先行研究なしには成り立たないのだけれど、先行研究は当然その研究者の視点からなされているわけで、いわば他人の眼鏡を通して作品を見ることになる。だから、まずはそのような「先入観」なしに、作品とじっくり向き合ってみる必要があると考えているわけだ。そうして、共感するところ・疑問に感じる点などを、おぼろげながらも炙り出しておいてから、先行研究に眼を通してみると、「なるほど~」と思ったり、「そうかー、気付かなかった!」という新たな発見などがアンテナに引っかかりやすくなる。膨大な先行研究がある場合には、やみくもに読み進めるよりも、ずっと自分に沿った資料の選択をしやすくなるのだ。

とまあ、こう書くと何だかエラそうに見えてしまうかも知れないが、かようにいつも先人と格闘しているわけだ(私の絵の先生が、画壇の大御所に勧められて哲学書を紐解いた際に、『これは脳みその格闘技だ!』と呆然とした、とおっしゃっていたが、ちょっとそんな感じだ)。ちなみに、楽器を弾く時にも同様に、譜読みの段階ではあまり“参考CD”は聴き過ぎないようにしている。もちろん、ある程度曲に慣れてきたら、できるだけ多くの演奏を聴くことになる。

そのような感じで、今回もリブレットを通してホフマンスタールと向かい合っていて、どうしても解らない箇所に出会った。未熟ながら考えうる限りの可能性をどう総動員してみても、なんとも五里霧中な感じで参った。行間の奥深さに後から改めて気付くことは珍しくはないが、ここまで壁が立ちはだかるのもまた珍しい。2,3日ウンウン唸ってみても解らなかったので、「?」マークをたくさん付けて、そこはスルーしていた。

ところが、一通りリブレットを読み終わり、今度はシュトラウスとホフマンスタールの往復書簡に目を通し始めたところ、『アリアドネ』に関して交わされ始めた割と早い時期の手紙に、他ならぬシュトラウス自身が、同じ箇所を示して「私にはどうもよく解らないのですが・・・」と戸惑い、「???」とクエスチョンマークを3つも付けているではないか!

これはすごい!!と、独り快哉の声を挙げてしまった(大袈裟だ・・)。やっぱり、シュトラウスほどの人でも解らなかったのだから、自分に解らなくても当然だ・・・と、いささか後ろ向きな「共感」の仕方だけれど、ホフマンスタールとシュトラウスの二人を身近に感じてしまったのだった。

いったん、そういう気持ちにとらわれて二人の書簡を読み進めると、「いまや私の分身である貴方から、長い間手紙がないと心配でたまりません(ホフマンスタール)」「おかしなことをおっしゃいますね。私から便りが欲しいというのなら、まず貴方が何か書いたもの(=台本)を送ってくださらないと。そうして初めて貴方は私の便りを読むことができるのですよ!(シュトラウス)」といったやり取りにまで人間味が感じられて、思わずウフフと微笑んでしまう。

ときおり、どうして自分は作品研究をせずにはいられないのかな、と自問してみるのだが、やはりこういう瞬間を感じたいからなのかも知れない。創作の才には恵まれなかったが、自分なりの解釈をすることで、先人の創作過程を追体験したい。そういうことなのだろう。そして、その合間に、ふとした先人たちの眼差しや気配を感じられた時の幸福感は、何ものにも代えがたいものなのだ。(08/04/27)

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