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2008年5月

名曲探偵アマデウス

NHKのハイビジョンやBSでこの番組を放映しているのは知っていたが,今日初めて見る機会があった.「こういうのも,たまには見てみる?」と相方が録画しておいてくれたもので,今回はモーツァルトのピアノコンチェルト第20番に関して.

今日は久しぶりのオフ日だったので,エンターテイメントとしてのんびりと眺めているだけのつもりだったのだが・・・

「あ~~~っ」

と,少々はしたない声を上げるはめになった.というのも,以前ラ・フォル・ジュルネの中継をやはりNHKのFMで聴いたときにも驚いた声の主が,今度は映像で登場しているではないか!

このN氏とは,今では年賀状のやり取りや,たまに音楽学会で顔を合わせるくらいで,お会いする機会も少なくなってしまったが,かつては某学生街の居酒屋を飲み歩いた仲間.第4回と第5回にも出演なさっていたようだが,残念ながらこちらは見る機会はもうなさそうだ.

面白い解説ではあったが,少々思い込みの強いところは相変わらずだなぁ,と思わず笑ってしまった.Nさん,今後のますますのご活躍を!(2008/05/24)

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『軍人たち』、そして・・・

ゲルバーのリサイタルと相前後するが、B.A.ツィンマーマンの『軍人たち』を聴いた(5月10日・新国立劇場)。

初めに白状してしまえば、個人的には「戦争もの」は忌避したいという意識がどうしても強い。親が戦中世代であることはもちろんだろうが、ごく若い頃にゴヤの銅版画『戦争の惨禍』を観たことが大きい。画集でではなく、美術館で本物を観たのだから、作品からただよう狂気と、きれいごとや大義名分などどこにもない戦場の悲惨さに、吐き気をもよおすほどの衝撃を受けたのだった。オペラ『軍人たち』の初演は1965年で、レンツによる原作は1776年だが、この200年近い年代の差も物語っているように、扱われている主題はいつの世にも通ずるものだ。実際、哀しいことだが、現在でも戦場では似たような惨状が繰り広げられているのだろう。

当日も、思わず目を逸らしたくなるような場面も少なくなかった。だが、それは一方で作品と演出の成功を意味するのかも知れない。赤い色が随所で非常に印象的に使われており、軍人たちの特徴ある動き(振り付け)も、作品が意図する風刺をよく捉えていたように思う。

作品終盤のクライマックス、軍靴と怒声がどんどんクレシェンドして行くときには、上述した忌避感から耳を覆いたくなるくらいだったのだが、幕が降りた後には、それまでの感覚とは反対に、思わず涙ぐみたくなるような感慨に浸っていた。

落ちぶれたマリーが、愛人と元許婚者が毒死してもなお、這い上がって物乞いをした相手が父親であった、という悲哀。何という救いのなさであろうか。原作にはこの後に「奇妙なエピローグ(公演プログラム23ページ、岩淵達治)」がついているが、ツィンマーマンがこのエピローグをカットしたゆえに、第二次世界大戦後ドイツの「廃墟の文学」にも重なるような作品色が濃厚になっているように思う。

帰路途上、そのようなことを問わず語りに語るうち、どうしても思いは我がホフマンスタールに飛んでしまい、「本当に、ホフマンスタールのような繊細な人は、第二次世界大戦を体験することなく亡くなって、結果的には良かったのかもしれない」「ハプスブルク帝国の崩壊こそ見なければならなかったけれど、まだ精神的には充分依拠しうるものだったし、だからこそ、“アロマーティッシュ”な解決という概念が作品にある」と再認識した次第。「でも、シュトラウスのほうは、ミュンヘン・ワルツを書かなければならなかったくらい戦争に打ちのめされてしまったんだよね。その後の『メタモルフォーゼン』には綺麗な所もあるけれど」と言う私に

「シュトラウスも、長生きしたばかりに見なくてもいいものを見てしまって、少し可哀想だったね・・・。でも、『メタモルフォーゼン』を書いた頃には、先に希望があると感じていたんじゃないのかな」

と言った相方の言葉が胸に迫った。シュトラウス晩期の作品群の比類のない美しさは、彼の遺言のような気がしてならない。だが、その約20年後にツィンマーマンが自殺してしまったことを考えると、やはり「0地点からの出発」は、ドイツ文学史で言い習わされているように束の間の幻想に過ぎなかったのだろうか。否、だからこそ、連綿と引き継がれ今に残る芸術作品の数々を再評価する意義があるのだと考えたい。(2008/05/14)

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ブルーノ=レオナルド・ゲルバー/ピアノ・リサイタル

彩の国さいたま芸術劇場で、表題のピアノ・リサイタルを聴いた(5月11日)。『悲愴』『ヴァルトシュタイン』『テンペスト』『熱情』という、オール・ベートーヴェン・プログラム。しかも、すごい名大曲ばかりだ。

この人の響きの美しさは健在だった。テクニカルという意味での盛りは過ぎてしまったかも知れないが、当日後ろの席に座っていたお嬢さんが「ミス・タッチが」と連呼していたような次元は、とうに超越してしまっている。テクニックを軽視して良いなどとは全く考えていないが、それならば、「ミス・タッチばかり」の演奏なのに、何故こんなに感動するのだろう? 実を言えば、私とて正直(あれだけ輝かしい技術と音楽性を兼ね備えていただけに)ショックは禁じえなかったのだけれど、響きの美しさと、浮き立ってくる旋律の音色に、本当に心を動かされた。

ゲルバーは、感傷に流されることなく楽曲に対して厳しい解釈をする人、という印象を持っていた。それに加えてあの音の美しさだから、これほど素晴らしいピアニストなのだ、と。それが当日の演奏からは、「厳しさ」よりも、(感傷というのとも違うのだが)感情の波が直接届いてくるようだった。それが意外でもあり、「ああ、ゲルバーもそういう年齢に達したのかな」という、聴く側としての感傷もあり、少々センチメンタルな気分に浸ったのだった。

そんな気分になったのには、開演の2時間ほど前に、偶然裏口への通路上で、控え室に向かうらしいゲルバー本人を見かけたせいもあるかも知れない。ステージ上の照明に細かく注文を付けるなどの、往時の逸話からは、神経質で少し我儘な人物を想像していたのだが、実際に見たゲルバーは終始にこやかで、穏やかにスタッフと言葉を交わしていた。

「なんだ、ゲルバーって好人物なんだ。」

さいたま芸術劇場は、音楽ホールとしては良いホールなのだが、立地は良くはないし、何と言っても埼玉だし、大収容でもない。よくこんなホールで弾く気になってくれたな、と地元民としては嬉しくも不思議な気持ちだったのだが、通用口での姿を見て、何となくそれが解った気がしたし、「もうあまり大きなホールで弾く気はない」という真面目な性格でもあるのかも知れない。というか、演奏家としての良心と良識を持ち合わせている人なのだろう。

ただし、鼻腔をくすぐるアロマ(?)は健在だったようだ(笑)。(2008/05/12)

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懐かしい・・

昨日まで開催されていた、ラ・フォル・ジュルネ。実はまだ、実際に足を運んだことはないのだけれど、せめてラジオで、と5月5日にNHK-FMを聴き始めたら、思いがけず懐かしい声を聞くことに。

CLASSICAの飯尾さんもご活躍のようだが、ラジオではるか昔(笑)の知り合いの声を聞くことになろうとは、ちょっと思っていなかったので意外といえば意外(失礼かも知れないけれど・・・)。でも、そういえば共に活動していた十数年前(・・・)にも、NHK-FMのクラシック番組で解説していたこともあったので、復活した、とも言えるのかもしれない。

世間は狭いものだ(笑)。(08/05/07)

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