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私のヴィオラ遍歴(其の六)

JKの不撓不屈の精神に根負けし「そこまで言うのなら、わかったよ」と言う私に、「いいですか? 本当に!? やったー!」と、パートリーダーを引き継いでいたHと手を取り合って喜ぶJK。オペラなどであれば、ここは「私が悪かったのだ」と反省すべき場面です。が、私はと言えば、この時に軽い(?)敗北感を味わっていたのですから全く救いようのないヤツです。まぁでもこれもオペラの悪役っぽくはあるでしょうか(苦笑)。

ヴィオラに移って来てからのJKは、実によくHのサポートをしていました。ヴィオラパートに限らず後輩たちの面倒見も良く、その姿は献身的とも言えるほど。一見したところは相変わらずとんがっていましたけれど(笑)。

その様子を見て、「もう大丈夫だ」というよりも「もう、いいや」という卑屈な気持ちに近い感情を持ってしまった、とことん小者の私が出た暴挙とは何か。それは、卒業してから入ろうと思っていた、あのTオケに飛び込んだことでした。

Tオケは別世界でした。団員個々人のレベルも高く、いきなり渡された譜面が、《牧神》《キージェ中尉》《悲愴》。《牧神》はともかく、大編成の大曲ばかりです。でもそれだけにとんでもなく魅力的に感じられました。何よりヴィオラパートが大所帯で、セクションで出す音に厚みがあることに夢中になりました。それまではトップとして自分が一番音を出してパートを引っ張っていかなければならなかったものが、自分の音がその厚みの中に溶け込む感触は、何とも得がたいものに感じられたのです。

入団のためのオーディションは問題ありませんでしたが、「入団後初の夏合宿は全日程参加」を条件に出され戸惑いました。大学オケの夏合宿と日程の一部が重なっていたので一瞬、迷ったものの、「もう、いいや」だった愚か者の私は、Tオケの合宿を取り、そのあと途中から大学オケの合宿に参加したのでした。

確かに、Tオケで演るのはいつも大曲ばかりで、さらうのに時間がかかるという事情はありました。団員になった以上は、Tオケからの要求に応える必要もあります。しかし、ここが私のしょうもない部分なのですが、「自分はこれまで孤立無援の状況で、充分に頑張ってきた。我ながら充分過ぎるほどだ。無理だろうと言われながらも不可能を可能にしたんだ。自分自身の努力によって。だからもう好きにしてもいいじゃないか」としか考えられなかったのです。

「自分自身の努力」・・・これは事実ではあります。ですが真実からは程遠い。何故なら、そのたゆまぬ努力も、部室に行けばいつも誰かがいて、パートは違っても皆それぞれ熱心にさらっていて、時には室内楽のアンサンブルをやって息抜きをしたり、閉められてしまった校門を共に乗り越えて脱出する仲間がいたからこそ続けられたことだからです。自分はそれほどまでに仲間やOB・OGに支えられていながら、当時まだ現役であったにも拘らず、その大切な大学オケに背を向けてしまったのです。

4年生冬の定演に向けた練習も、Tオケの曲をさらうほうに気を取られて休みがちでした。卒論を書いていたこともあり、物理的に時間が足りない!と常にイライラしていました。ほかの誰でもない、自分の責任なのに。もちろん冬の定期演奏会には出ましたが、卒業するとTオケの活動にどっぷり浸り、大学オケには殆ど顔を出さなくなってしまいました。

そして卒業後、一年ほど経った頃でしょうか。JKが大学を辞め、音大を目指すそうだという話を聞いたのは。(続く)

(2014/02/26)

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