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私のヴィオラ遍歴(其の八)

野口タンホイザーの食材もとい贖罪の旅は続きます。さて、私の杖は緑に芽吹くのでしょうか。。あぁでも、ヴィオラが弾くのって、ヴェーヌスベルクのテーマだった・・・ダメかも(^^;;


さて、笑顔で近づいて来たJK。その時はもう見事に音大に入学しており、自信に満ちているように見えました。少し離れたところに何人かいた人たちを指して「あそこにいるの、音大の連中です」と言っていましたっけか。その他にはどんな会話を交わしたのか、もうよく憶えてはいません。ごく小さなエピソードなので、JKは憶えていないでしょうけれど、私の中では何故かドラマの一場面のように残っています。

やがて20代の終わり頃、サヴァリッシュがバイエルン州立歌劇場と共に来日し、R.シュトラウスの《影のない女》を演りました。それを観て(演出はともかく^^;)魂を抜かれ、一大決心をして他大学の大学院に入り直しました。思うところあって入り直した大学院でしたので、さすがにオケよりも研究に時間を割くようになりました。Tオケには当時「練習の出席率は50%以上が義務」という内規があり、それを満たすことが困難になったため、Tオケは退団しました。しかしレッスンは続けました。マイペースでじっくりレッスンの曲をさらえるようになり、それはそれで良かったと今でも思います。

後期博士課程に上がった頃、ひょんなことから、前の大学で書いた修論ベースの雑誌論文をCLASSICAに載せてもらえることになりました。この小論は、やはりサヴァリッシュ/バイエルンの来日公演で魂を抜かれた(いくつあっても足りない私の魂w)R.シュトラウスの《アラベラ》について書いたもので、これが元で完成したばかりだった新国立劇場の公演プログラムに書かせて頂くことになり、そしてなーんとこの公演でピットに入っていたのは師匠が属するオケだったのです。ある意味、初の師弟共演(笑)。

その頃からは、何となくですがオペラの世界に軸足を移した感じになり、ヴィオラのレッスンだけは続けましたが、オケで弾くことも全くなくなりました。入り直した学校が音楽活動の非常に盛んなところでしたので、時おりアンサンブルはしました。それで私には充分でした。

今回の頭に書いたエピソード以降、JKとの接点は一切なく、風の便りにY響に入ったと聞いたきりでした。が、月日は流れて、意外な形で再会を果たすこととなるのです。(続くーw)

(2014/02/28)

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