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2014年3月

私のヴィオラ遍歴・外伝

こそーっと、某SNSで「友人まで公開」でアップしたのですが、連載していた以上、こちらにも載せるべきではないかということで。若気の至りショートショートです(笑)。



とある日、大学オケの部室で男子共が神保町の本屋の話で妙に盛り上がっていた。「神保町行ったの? いいよねえ、あの本屋街は」と話に割り込むと、「いやでも、絶対に野口さんは行ったことない本屋の話だよ」と。いささかムッとしながら「どこよ」と尋ねると、「芳賀書店」との返事。

私:「ああ、芳賀書店ね。知ってる。入ったこともあるよ」
男子:「ウソーっ」
私:「バカにすんなよ。たしなみでしょ」
男子:「たしなみ・・・((((;゚Д゚)))))))」

・・・私が想定していたのは音楽書を扱う「古賀書店」。男子共の言う「芳賀書店」がエロ本の有名店だということを知ったのは、随分経ってからのことであった・・・

野口・ザ・レジェンド。ジ・エンドw
(2014/03/26)

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昨日、快獣の卒業証書授与式が無事終わりました。

子ども達が一人ずつ会場入り口で礼をしながら入場して来る姿を見た時から涙腺が危なかったのですが、卒業証書を受け取る時はまだ辛うじて堪えていました。でも、校長先生の式辞が・・・ピアノ演奏のBGM付きで『ビリーブ』の歌詞を読まれ、ここで蟻の一穴(?)の涙が(^_^;)。それでもその程度で済んでいたのです。でもでもでも、『仰げば尊し』で・・・

素直に単旋律で歌ってくれればいいものを、あんな見事なハーモニーで・・・・。声部に分かれた途端に響きの空間が一気に広がったのです。

で、涙腺決壊。

反則ですよ〜、校長先生! (つД`)ノ
あと、子ども達の歌声!!
ぜーったい反則!

式の後、その校長先生に声をかけられ、快獣くんはとても立派でしたね、と。帰り際、先生がたや友達と写真を撮りあったのですが、何と校長先生と肩を組んで写真を!(◎_◎;) さすがにこれには驚きました(笑)。

何だかんだ言ってもやはり、子育ては山あり谷ありで、喜びもありますが挫けそうな苦労も次々やってきます。節目節目で成長した子の姿を見ることができるのは、なりふり構わず、時としてみっともない姿を曝け出しながら突っ走ってきたことへのご褒美ですね。帰宅すると、幼稚園時代の担任の先生からもお祝いの葉書が届いていて、もう嬉し過ぎて感情が麻痺してしまった感じでした。

そして今日になって、在校生たちはまだ今日も登校するのだなと、軽く愕然としながら(?)しみじみとこれまでのことを振り返っています。

高みを目指すのはとても尊いことです。その一方で、小さなことにも喜びを見出す感性も大切にしたい。そんなことも感じた一日でした。
(2014/03/25)

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新たな挑戦

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去る2/2に行った朗読コンサートの録音。先々週のレッスンの時に師匠を通して受け取っていたのですが、3日前にようやく聴きました。


で、大ショック(^_^;)。会場ではよく通っていたと言われましたが、私の声がマイクに殆ど拾われていない・・・と言うか、師匠のヴィオラの響きが凄すぎて完全に格下。いえ、これがアマチュアとしてのヴィオラ発表会で師匠と共演、、、というシチュエーションなら構わないのですが、こちらも朗読者としての共演なので猛省する義務があります。会場では通っていたとしても、マイクに拾われないということは、声圧が弱く声が響いていない・届いていないということ。


折しも、通っていた朗読教室が先生の健康上のご事情で当分のあいだ休講となり、途方に暮れていたところでした。


そこで、さる声楽家の方に泣きついて(^^;)発声法とディクションの稽古をつけて頂くことになりました。コンサートも聴きに来てくださった方なので、当日の聴こえ方と録音を比べてビシビシ鍛えて頂く所存です。今後は、もう少し大きめのハコを想定した訓練を積みたいと思います。


録音ってシビアですね。真実が録られてしまうのだなと。で、やっぱ、ししょーは偉大(T▽T)ということも再認識。この恵まれた環境に感謝しつつ、精進しようと思いを新たにする年度末なのでした。
(2014/03/22)

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望月哲也 Wanderer Vol.5





もう一週間経ってしまいましたが、テノール歌手・望月哲也さんのリサイタルを聴きました(3月6日・王子ホール)。望月さんの歌はオペラではよく聴かせて頂いていますが、実は歌曲の実演に接したのは初めてです(ごめんなさいごめんなさい)。

歌曲というものは、本当に言葉と音楽がありのままの姿を晒け出すものなのだな、というのが第一印象でした。そして、その有りようの何と幸福であることだろう、と強く強く感じました。河原忠之さんが織りなすピアノの豊かな響きに包まれ、それと一体と化しながら、さらに抜きん出てくる歌声に圧倒されてしまっていた、というのが正直なところです。CDなどの録音で聴くのとはやはり全然違います。

ピアノの蓋が全開でありながら、そしてあれだけの響きの中にありながら、言葉が実に綺麗に届いて来てドキドキしてしまいました。本当にすごいお二人です。

望月さんは歌詞をご自分で翻訳なさいます。つまり、言葉を感じ、音楽を感じ、それを内なる作業を経て再生成し「声」で表現する・・・という離れ業をなさっているものと拝察いたします。ひーひー言いながら言葉のみを扱う者にしてみれば、心より羨ましいことです。それはもう、羨望を通り越して嫉妬すら感じるほどに(笑)。

当日は息子と聴きに出掛けたのですが、独特の感性で音楽の印象を色で表す彼によれば、マーラーは虹色、ツェムリンスキーはクリーム色、シェーンベルクは赤紫、マルクスは藤色、ベルクは青紫(ブルーベリー色)、コルンゴルトは深緑。アンコールの最後に歌われたR. シュトラウスの《献呈》は藍色。これは夜の帷の色ということだそうです。確かに、歌もピアノも天穹に響き渡るようで、まさか《献呈》を、それもこんな凄い演奏で聴けるとは思っていなかったので、もうすっかり魂を抜かれてしまいました。

そう言えば、昔院生だった頃、声楽を習っている独文仲間がいて、パーティーで歌うことになったからとピアノ伴奏を頼まれたことがありました。何曲かやったのですが、その中に忘れもしないこの《献呈》もあって、ひーひー言いながら(こればっかりw)練習しましたっけ。私は歌えませんが、言葉を扱い、ピアノで歌に寄り添ってみた経験も(一応)あり、そのような自分の立場なりにいろいろと感慨深い一夜でございました。
(2014/03/13)

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私のヴィオラ遍歴(最終回)




6月に初台でY響を聴いて以来、是非ホームグラウンドで聴きたいと機会を窺っていました。すると、11月に《さまよえるオランダ人》を演奏会形式ながら全曲やるというではありませんか。Y響の透明感のある響きとワーグナーというのがちょっと不思議な気もしましたが、《オランダ人》ならまぁアリか、お膝元に行くならこれしかないでしょ、と早速手配。いざ、Y響ホームグラウンド!

初台で聴いたときは、大学オケの後輩たちと一緒でしたが、この時は単身で、知っているのはJK夫妻と、サバトで知り合ったヴィオラ奏者のAT嬢だけ。当然のことながら、三人とも舞台に乗っているので、本当に野口ひとり。ぽつん。ですが、ここでも運命の出逢い(笑)が待っていました。MT嬢です。行く直前からメールでやり取りをし、何故かウマが合っていた彼女。初対面で目と目を見交わしたその瞬間から、私たちは相思相愛の仲になったのです(と思う。多分w)。

見知らぬ土地に一人で乗り込むのは、好奇心の一方でさり気なく心細いものですが、MT嬢や周りの方々が本当に温かく、この闖入者めを歓待してくださいました。また、ここでワグネリアンであり半ゲルマニスト(笑)のA氏ともお近づきになりました。A氏はR.シュトラウスにもお詳しく、「ホフマンスタールがご専門なんですか。じゃあ、前々から知りたいと思っていたんですけど、アラベラに出てくるあの言葉って正確にはどう訳すんですか!」と初対面でいきなり「えっ、そこ!?」という部分に斬り込まれタジタジに(汗)。とは言いながら、「彼の地では自分は一体どういう立ち位置で振る舞えば良いのだろうか」などと腐心していた小者の私、いきなりディープな話題に触れてすっかりリラックスし(なんか違)客席に赴くことができました。《オランダ人》も、第二幕で橋爪ゼンタに魂を奪われ、終演後には宴会にまで誘って頂き、実に楽しい一夜を過ごしました。

以来、私はMT嬢のことを「姫」と、そしてMT嬢は私のことを「野口せんぱい」と呼び合うようになり、それに準じてなのか?私は彼の地で「先輩」と呼ばれる場面が増えました。それもこれも「JK効果」なのでしょう(笑)。本当に慕われているのだね、JK。

そして、12月。Kフィルで久方ぶりの本番を終えました。無事とは言い難かったですけれど(汗)、あの何とも言えない興奮をまた感じることができて幸せでした。プロの調理人であるDのお手製差し入れも大変美味で、楽屋であっという間に売り切れ御免。弦楽器は本番直前でも食べられるのがいいですね(笑)。

同じ12月に、絵本の読み聞かせボランティアで開催した「クリスマスお話会」では、キーボードもない会場だったので、ヴィオラいっちょうでクリスマスソングも弾きましたっけ。その時の写真です。カムフラージュしていますが、トナカイの角をつけています(笑)。





こうして振り返ってみると、2012年の充実ぶりは半端なかったですね。まるで20年以上かけて敷かれた伏線を回収したような趣きです。

これで野口タンホイザーの旅も終わりです。予想外の声に支えられ、調子こいて長々と連載してしまいました。2013年以降も、Y響やYカルテットを聴きに年に数回彼の地へは赴いております。我が姫との恋仲も順調です(ぇ)。Kフィル方面とも、関越ヘンタイトリオ(表向きの名称は、トリオ・関越メタモルフォーゼw)を結成しました。ヴィオラのレッスンでは相変わらず山に入る装備点検の日々です(^^;。

それでは皆さま、ごきげんよう。

(2014/03/05)

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私のヴィオラ遍歴(其の拾弐)





ヴィオラに触ったのも6年ぶりなら、オケで弾くのは実に10年ぶり以上です。だいじょぶなのか、私・・・。しかも、二回参加した練習はいずれも弦・管分奏で練習場所も少し離れたところだったので、頼みの綱のDにその夏は会えないことが分かっていました。何とも心細い気分で練習場に入ったのでしたが、Kフィルの皆さんは快く受け容れてくださり、ホッとしました。

「誰の知り合いなんですか?」と近くに座っていた人にきかれ、「ああ、Dちゃん・・・あ、ホルンのDくんって判ります? インペクやってるって聞いてるんですけど」と答えると、「ええっ、Dくん、って、あのDさんのことですよね?」と驚いて確認されました。「Dさんのことを “くん” 付けで呼ぶなんて・・・」。こう言ったその団員さんは、きっとその後の「あんた何者ですか」という言葉を呑み込んだに違いありません(笑)。Dも大した人望を得て活動をしているのだなと、何だか誇らしかったです(←後輩の威光の上に胡坐をかく先輩w)。

そのようにして私の熱い夏も終わりました。リハビリもろくにせず参加したオケ練でわかったこと。無理をしてオケの曲を弾くと、「オケ荒らし」時代のクセが一番悪い形で出るということ。なので、しばらくはオケのパート譜は開かず、レッスンに備えた練習に専念しました。

そして、レッスン再開の約束をしていた10月。6年ぶりにお会いするのがいきなりレッスンの場、というのも居心地が悪かったので、直前にお酒が好きな師匠と飲み会をすることに。振り返ればこれまた有り難すぎて涙がちょちょ切れるような話なのですが、私にとってそのような「ここ一番」の場になったお店を、今をときめくテノール歌手のM様にご推薦いただいて、無事、師匠と再会いたしました。その時に頂いた、おビールの写真でございます。M様、今さらですが、素敵なお店をご紹介頂き、本当にどうもありがとうございました(号泣)。

じゃあ、明後日。と言って師匠と別れ、さてその二日後。

・・・・ししょーのレッスン、健在。否、基礎の厳しさは明らかにバージョンアップ。もう、「山に良質の木材を切り出しに行く」以前の、まずは山への入り方、木材の見分け方から仕込み直しです(滝汗)。私が間違ってうかうか川の方へ行きそうになるのを、山に引き戻す・・・そんなイメージでしょうか(よく解らないですよね^_^;)。やはり6年のブランクは大きかったです。それも、小さい頃から弾いていたわけではなく、大学に入ってから始め、しかも「荒らし」時代を経た身には、五里霧中と言いますか、見通しの良くない道無き道を行く、といった感じでした。

そんなこんなで、とにもかくにもレッスンを再開した1ヶ月後の11月。ついに私はY響のホームグラウンドへ行くことにします。(続く)

(2014/03/04)

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私のヴィオラ遍歴(其の拾壱)




楽器が工房から退院したのが7月半ば。早速音を出してみましたが、「お〜、思ったより出るじゃん!」と、まるで大学オケの部室に拉致された時のような・・・既視感(笑)。ただ、弾く感覚は身体の芯に残ってはいても、身体がそれに付いていかない感じ。指の力も衰えていたし、指先の皮もすっかり薄くなっていて、ポジション移動をしてみると指の腹が裂けるかと思うほど。たかだか5ポジまで上がった程度で二の腕がつったり(爆)。

師匠に連絡しなければ、と思うものの、ブランクが長すぎて、いきなりメールや電話でというのも非常に失礼な気がしたので、手紙を出しました。恐る恐る。そして投函した翌日に師匠からメールが入りました。あまりの速攻レスポンスに、はやる気持ちと怖い気持ちでバクバクしながらメールを開くと、「手紙受け取りました。取り急ぎメールにて。レッスン再開を歓迎します」との内容。ヘナヘナと力が抜けました(^_^;)。JKだけでなく師匠にも再開を「嬉しい」と言って頂き、私は本当に周りの人に恵まれていると思いました。さすがにすぐにレッスンというのも厳しい状況だったので、再開は10月ということになりました。

また開放弦から練習を始めたその頃、SNSで広がり始めていた大学オケの輪の一環で、私の二代下、つまりJKと同じ代で当時ヴァイオリン、今はヴィオラを弾いているHの家で女子会が開かれることになりました。女子会・・・と言うよりサバト^^;と呼ぶのが相応しいような阿鼻叫喚の中で、そこでも久しぶりに再会した先輩・後輩もいました。楽しかったなー。またやろうよね、サバトw

やがて8月になり、Dに頼んでKフィルの練習に参加させてもらえることになり、演目をスコアでさらったりしていました。そんな折、JKが熱心に活動するカルテットの演奏会が(何とか)行き得る場所であるというではありませんか。しかも、その日は私の誕生日! 相方に「今年の誕生日プレゼントはこれだ!」と言って車を出させ、一路演奏会場へ。

片道3時間くらいだったでしょうか(^_^;)? 夕方にようよう会場を探し当て、取り敢えず駐車場に車を入れると、JKが気付いて出てきてくれました。立ち話をした後、開演まで少し間があったので、その地の名物ラーメンを食べに街中まで。そしていよいよ開演を待ちます。

6月のY響はオケとしての演奏会だったので、JK個人の音を聴いたわけではありません。ですが室内楽ならバッチリです(笑)。しかも、その日はドヴォルザークの《アメリカ》が演目に入っていました。冒頭からどソロを弾くJKの雄姿に間近で接しようと、目の前に陣取ったところ「えっ、そこ!?」とJKにたじろがれ(?笑)、その様子を見ていた相方に「後輩いじめもいい加減にしろ」と襟首を掴まれてやむなく後退w

しかしまあ当然のことですが、そんな私の出しゃばりなんぞにJKが動ずるはずもなく、演目の解説に始まり、演奏も見事でした。彼が指導をしている大学オケの学生と思しき子たちと話す様子からも、JKが慕われ敬われていることが窺えました。

帰りの車の中で相方も「Kさん、すごくいい音だったね。ソリスティックな感じで」などと言っておりましたが、確かにJKの音は、単にヴィオラの音と言うよりも、ヴィオラという楽器なのはたまたまで、ヴィオラを媒体として「JK」という音楽が奏されている、という印象です。こういう言い方をしてJKが喜ぶかどうか判りませんけれど(笑)。

そしてそれから一週間。いよいよKフィルの練習に参加する日がやってきました。(続く)

(2014/03/03)

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私のヴィオラ遍歴(其の拾)




そのようにJKと再会を果たした後、彼の反応が心に引っかかっていながらも、やはり楽器ケースを開けることなく、半年以上が過ぎました。

しかし振り返ってみると、そのJKとの再会以来、確実に「何か」が動き始めていたとしか思えません。一昨年の6月のことです。JKから話を聞いて連絡を取ってみたところ、私の一代下でホルンを吹いていたDと実はもう何年もニアミスをしていたことが判り、Dがインスペクターを務めるKフィルの第一回定期演奏会を聴きに行くことにしました。お気楽に、純粋に楽しむためだけに出掛けたのでしたが、開演直後から私の内部で異変(笑)が起き始めました。

もちろん、アマオケですし、第一回の定期演奏会でしたので、とても若いオケです。技術のことだけを言えば、まあ首都圏にはいくらももっと器用に大曲を弾きこなすアマオケは数多存在することでしょう。でも、Kフィルは、そういう器用貧乏(失礼)なアマオケが置き去りにしてしまっている「アマオケ魂」とでもいうものを熱く持っていると感じました。「音楽が好き」「アンサンブルを大切にしたい」という意気込みがビンビン伝わってきて、背中から腕から、もうビリビリ・ゾクゾクしっぱなしになったのです。終演後、これも20年以上ぶりに、見違えるほどホルンの上手くなったDとも再会し、このKフィルの持つ雰囲気は懐かしい大学オケに通じることに思い当たりました。

そして、6月の末です。JKのいるY響の東京公演に行きました。この時のメインはブラームスの交響曲第2番。この曲がまた因縁深い曲で、私が執行学年の、つまり大学3年の冬の定演のメインだったのです。あの時はJKは確か1stヴァイオリンでした。JKが自在に操るボウイングを見つめながら、本当に立派なヴィオラ奏者になったのだなと、歳月の流れを感じたものです。そしてY響の響きも(陳腐な表現ですが)本当に素晴らしく、これはもうホームグラウンドまで聴きに行くしかない!と思わせる演奏でした。

この6月中の体験を経て、ついに「またヴィオラを弾こう」と思うに至ったのでしたが、冗談抜きで6年以上、ただの一度もケースを開けずにきたのです。黴が生えているかも知れないし、まず弦は切れているだろう、もし全部切れていたら当然駒も倒れているだろうし、そうなると魂柱も危ない・・・。そんな怖い想像が押し寄せ、一人でケースを開けることがどうしてもできず、「一緒に見届けろ!」とわけの分からない命令をして相方に横にいてもらい、やっとの思いで開けたヘタレっぷり(苦笑)。

そして開けた時の様子が、写真です。調弦は少し狂っていたものの、弦も一本も切れておらず、黴も生えず割れもありませんでした(涙)。しかしながら、一見したところダメージは少ないように見えても、弦楽器工房に持って行ったところ一週間の入院を言い渡されました。ちょちょいと調整してその日のうちに持ち帰り、すぐにでも音出しができるとルンルンで行ったのですが、その期待も虚しく手ブラで独り寂しく帰路に就いたのでした。(続く)

(2014/03/01)

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私のヴィオラ遍歴(其の九)

JKと再び接点を持つようになったのは、SNSです。実に20ン年ぶり。友達になった人のリストの中にJKを認め「をを」と思ったものの、しかしすぐにはリクエストを出せずにいました。「いやもう、忘れられてるかも」「憶えていたとしても苦々しく思われてるだけかも」「どのツラ下げてリクエスト出すわけ?>自分。うををを」等々さんざんセルフ突っ込みを入れた挙句、「ええい、もうリジェクトされたら、その時はその時だ!」と、清水の舞台から飛び降りるつもりで「○○大オケでご一緒していたヴィオラの野口です。憶えていらっしゃいますか・・・云々」と、思いっきりへっぴり腰のメッセージ(笑)と共にリクエストを送ったのでした。

けれども、「野口さん、お久しぶりですと言うのも・・・というくらい、ご無沙汰ですね。もちろん、憶えていますよ!」という内容の返事をもらい、私の逡巡も杞憂に終わったのでした。

そしてネット上で再び繋がった数ヶ月後、文化庁の仕事でJKの属するオケが地元にやって来るという情報を入手しました。慌ててJKに確かめたところ、確かに行きます、と。しかしスクールコンサートのため、一般人は入れません。そこで「手は足りている」という学校側に無理矢理頼み込んで、搬入・設営・搬出を手伝うということでかなり強引に潜入成功(笑)、ワクワクしながら団の事務局の方たちと準備をして待ちました。

「今日は彼がね、ヴィオラのトップやるんですよ」などと事務局の方に伺ったり、Y響紹介のパネルを見たりしていると、「のーぐちさん!」と呼ぶ声が。振り向くと、にこやかなJKがそこにいました。

自分がどういう言葉をその時発したか定かではありません。「野口さん、全然変わってないね」「JKこそ」とか何とか言い合ったような記憶が・・・。それ以上は、再会の握手をするので精一杯でした。

JKの奥さんも同じ楽団のヴィオラ奏者で、その日も来ているというので、紹介してもらいました。奥さんのところに向かう途中、「いやさ、うちの奥さんとも野口さんの話はしょっ中してるの」と超意外な言葉。「えええええっ、どどどどうして」と激しく動揺する一児の母(← アホw)。「奥さんと、お互いどうしてヴィオラに転向したか、って話になると、どうしても野口さんとHさんの名前を出さないわけにいかないでしょ」と。むむむ、そそそれはそうか・・・。

そして奥さんとご挨拶。さすがJKが伴侶に選んだだけのことはある、傑物とお見受けしました。その後トンカツ好きのJKを地元の隠れた名店に連れて行ってお昼を食べました。

実にいろいろな話をしました。「野口さん、相変わらずヴィオラ弾いてる?」という問いに「いや、もう全然弾いてない」と答えると、「えっ・・・どうして。弾いてないの? 嘘でしょ? オケとかじゃなくてもさ」とJK。「あー、そうなんだ。まあ、みんな忙しいだろうからね」という位の反応を予想したのですが、JKの様子は驚きというよりは失望に近い感じで、その哀しげとも思える反応に戸惑いつつも「いやもう、ずっと楽器に触ってないんだよ」と言うしかありませんでした。実際、まずは手指をアレルギー性湿疹にやられて弾けなくなり、そちらが落ち着きかけた頃に今度は体調を崩したりで、その時点で6年近く、一度も楽器ケースを開けていない状態だったのです。

他に後輩たちの近況などを話す合間にも、「ねえ、本当にもう弾かないの?」「いいじゃん、自分で楽しむだけでもさあ」「ほんとに? ほんっとにもう弾く気ないの?」などと何度か念を押されました。けれども、2、3年ならともかくそこまで弾かない期間が長くなると、もう自分のことを「ヴィオラ弾きます」と言うことも憚られ、今さら再開は無理だろうという諦めの気持ちのほうが強かったのです。(長くなったので、続く!)

(2012/03/01)

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