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追分にて想う





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生の中心から
遠ざかれば遠ざかるほど
その動きが
無駄に大きくなる
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堀辰雄の初期の作品『刺繍した蝶』の中の一節。この前には「ものは何とはげしく動き、変化してゐることか!」という言葉があります。自分は何だかガシャガシャしているな、落ち着きがないな、と感じるときは、やはり「生の中心」から遠いところで無駄な動きをしていたのか、と思い知る瞬間。

初期作品でこのような言葉を記す堀に、ホフマンスタールを重ねてしまう私は少しおかしいでしょうか(^_^;)? でも堀はリルケに傾倒していたので、あながち的外れでもないような気もします。

写真の図録は先日信濃追分に取材に行った折に、堀辰雄文学記念館で手に入れたものです。生誕百周年のほうは10年前の企画展の図録で、わざわざ奥から出してもらって買ったのですが、多恵子夫人の緒言はもちろん、加藤周一の寄稿もあって、やはり出してもらって良かったです。

多恵子夫人の緒言の中に「辰雄はよく自分は本からいろいろのことを学んだと言っていました。(・・・)苦しみ悲しみの多かった境地を〔リルケの詩から学んだ言葉によって〕超えることができたように思います。長く続いた病床で愚痴も言わず、病気に耐えることが出来たのも又読書から得た言葉によってだったようです。」とあります。自分も含め、ともすると消費することで気を紛らわせようとしがちですが、それはあくまで表面的なことであり、言ってみれば対症療法のようなものに過ぎません。それを本質だと勘違いするととんでもないことになります。

こういうことを思い出させてくれる文学が、やはり私の常に立ち帰る場であり、拠りどころなのだと再認識します。先人の生と魂の結晶を受け継いでゆかねばなりません。
(2014/05/18)

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