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Stimme vol. 5 『風立ちぬ』終了



(竹風堂善光寺大門店3Fにある、大門ホールの控え室窓から望む)


昨日、見事な秋晴れに恵まれた日に、朗読コンサート Stimme vol. 5 を開催いたしました。





演目は、堀辰雄の名作中の名作、『風立ちぬ』。以前、堀の『大和路・信濃路』から「樹下」を読んだことはあったのですが、やはりこれだけの大作に挑むのにはかなりの勇気が必要でした。

今回、共演して頂いたヴァイオリニストの外山陽子さんとチェリストの宮澤等さんのお二方にサジェッションを頂き、耳に馴染みやすい曲をテーマ音楽のように扱ってみることにしました。そこで選んだのが、「庭の千草」の邦題で知られるアイルランド民謡の《夏の名残の薔薇》。これを、ヴァイオリン旋律・チェロ旋律・ヴァイオリン独奏・チェロ独奏とさまざまなヴァリエーションで、しかも場面によって奏法も変化させて頂き、とても効果を上げることができました。



(左から、チェリスト宮澤等さん、ヴァイオリニスト外山陽子さん、朗読者野口)


堀の文体というのは一種独特で、リズムがありながら、どこか良い意味でのトラップがあったりします。音楽で言えば装飾音があるような(?)。うっかり見切り発車で勝手に読むと、この罠にはまってしまうため、とことん、堀の文章に集中して対峙しないと、読ませてくれないのです。そこが堀文学の、情緒的でありながらも芯の強いところなのだろうかと、今回改めて感じました。

自然の描写も、自我のフィルターを通したヨーロッパ的なもので、日本的な花鳥風月の描き方とも異なり、自然の中に在る自分・自然を見つめ食い込んで行くような視線で捉えられています。

家人に指摘されて「そ、そうかな!?」と自分でたじろいでしまうのは、「読み方が恐ろしい」と。これは私の文学者としての、それも日本文学ではなくてドイツ文学者としての性のようなものかも知れないのですが、私が作品から引き出して伝えたいと思うのは、描写の(いわば表面上の)美しさだけではなく、その「美しさ」の根幹にあるものであって、それにアプローチしたいともがいているわけです。

それを「怖い」と評されてしまうのは、まだまだ深め方も実力も足りないということですが、この過程を経た上での「美しさ」を表現できて初めて、それは「美しい」ということになるのだという信念を持っています。

私は珠を転がすような美声の持ち主でもなければ、スラスラと流麗に読める器用なタイプでもなく、常にもがき憧れてジタバタしているような冴えない人間なのですが、そこに音楽があると、やはり救われるような気がするのです。(2016/10/17)


【今後の予定】
☆12月11日・ヴィオラ奏者中山良夫氏と宮澤賢治『よだかの星』(山形)

☆12月26日・ピアノ奏者大田麻佐子氏とパウル・ツェラン『声たち』(翻訳/野口)他(長野)

☆12月27日・ピアノ奏者大田麻佐子氏とミュラー『冬の旅』(翻訳/野口)他(黒姫)

☆2017年2月5日・中山良夫(ヴィオラ)高橋牧子(ピアノ)の両氏と、立原道造『優しき歌』、堀辰雄『浄瑠璃寺の春』(さいたま)

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