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静岡で舞台三昧



(完売公演)

『1940 ーーリヒャルト・シュトラウスの家ーー』(4月29日・静岡芸術館)。午前中の野平(音楽)・宮城(演出)・大岡(脚本)の三氏による鼎談では、宮城さんのお考えに共鳴するところが多かったです。

「演劇と音楽との境目がよく判らないような作品を目指す」という野平さんの言葉に期待しましたが、実際にはかなり偏って演劇主体でした。音楽の挿入の仕方もどちらかというと異化効果のような役割で、《ナクソス島のアリアドネ》初演時はこんな感じで受け取られたのかと思ったり。

史実を積み重ねて或る形にする、というのは何と困難なことか、という面にも思いを馳せずにはいられませんでした。年表や資料としてではなく、脚本、すなわち人間の言葉に変換し生命を吹き込むことによって再現するのは並大抵のことではありません。鼎談での大岡氏のご発言からは、どうも共同作業という感じでもなかったようで、今回を「緒に就いた」と位置付けようとするならば、シュトラウスのように共同作業を試みる必要性も感じました。

大岡氏の言うように「昨今の風潮は作者の能書きではなく、作品そのものを提示することで勝負しないと許されない」というのはまことにその通りで、それこそが芸術作品の生命であり力だということを再確認したことでした。





そして、夕方からは場所を静岡芸術劇場に移して『ウェルテル!』を観ました。シュテーマンの演出で、ホーホマイヤーの一人芝居。





これが、良かった。とても良かった。ゲーテすげえと思いました。ホーホマイヤー演ずるウェルテルは、中二病的可愛らしさと危うさがよく表現されており、読み換え演出でしたが、ウェルテルの苦悩Leiden の本質を掬い取って現代にも通ずる解釈がされていたと思います。現代に読み替えてもメッセージ性を損なわない原作のゲーテ作品のタフさも勿論ありますけれど、シュテーマンの慧眼と、普遍性を持った解釈からなる再構築だったゆえなのでしょう。深みのある、思い出に残る上演でした。
(2017/04/29)

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