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2017年7月

望月哲也 独演コンサート



(終演後にロビーにて。望月さんと横山さん)


日本声楽家協会主催の望月哲也独演コンサートを聴きました(2017年7月6日・於:日暮里サニーホールコンサートサロン)。ピアノは横山紘子さん。

前半は山田耕筰と柴田南雄の日本歌曲。私の立場としては三木露風と北原白秋、そして立原道造の詩による歌曲と言ったほうがしっくり来るのが正直なところで、実際のところ前半のお目当ては立原道造/柴田南雄の《優しき歌》でした。立原に関しては思うところが沢山あるので心して聴いたのは勿論ですが、1曲目と2曲目の三木露風/山田耕筰の《樹立》《野薔薇》に射抜かれました。《樹立》のドラマティックな歌い出し。《野薔薇》を望月さんが歌うと、その詩が「荒れ野に呼ばわる者の声がする」という聖書(イザヤ書)の記述を思い起こさせ、やはりこのひとはエヴァンゲリストなのかと、改めて思いを深くしました。

後半のシュトラウス、1曲目の《献呈》を歌い出したときは、ああ、これまで馴染んできていた望月さんの歌だと、ホッとするような思いすらしたもののそれも束の間のことで、どんどん歌が、場の空気が拡がっていって、ドイツ歌曲も明らかにこれまでとは違う響きが会場に満ちました。6年前に望月さんが録音されたシュトラウスのCDは発売早々に入手して、以来もう擦り切れるほど聴いているのですが、もはやその時とは全く異なる位相に立っておられるのだと、ひしひしと感じました。

MC時の望月さんによれば、「シュトラウスの歌曲は音域が広く2オクターブくらい使うのだが、自分は低い声がなくなってきている」とのことでしたが、聴いている感触ではむしろ中低域の表現にハッと胸を衝かれる場面が多く、ということはやはり表現が深くなっているのでは、と感じます。聴きながら、このひとは今まさに変容を遂げているさなかなのではないか、という思いにずっと浸っていましたが、それもあながち的外れではなかったということでしょうか。

終演後のやり取りのなかで、もしかしたら望月さんご自身はご自分の表現にまだまだ納得していらっしゃらないのかなという印象を受けたのですが、ピアノの横山さんは「同じ空間を感じられて幸せでした」と仰っていて、やはりそうでないとあれだけの音空間は現出しないだろう、私の感じ方も勘違いではなかったのだろうと思います。

シューベルトとシュトラウスは違うとのお話もあり、それは全くその通りなのですが、あの2月に白寿ホールで聴いた、絶望と透徹した眼差しで寒気がするほどの歌唱だった《冬の旅》といい、今回のリサイタルといい、天与の美声のみならず音楽と言葉の内奥にどんどん分け入って、作品の核の内側から表現しようとなさっていると感じます。文学の領域にも根を張ってきているのだなと、文学の「こちら側」で驚嘆とともに見つめる思いです。見つめるというよりも、気づいたら心に深く根ざしてしまっていた、と言ったほうが当たっているでしょうか。

つれづれに書き連ねてしまいましたが、要は望月さんと横山さんが織りなす音楽に中ってしまったのだということなのでしょう。幸せなリーダーアーベントでした。
(2017/07/07)

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