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立原道造『優しき歌』



(立原も堀口大學の翻訳でヴェルレーヌを読んだらしい)


『優しき歌』は、婚約者水戸部アサイのために編まれた詩集で、ヴェルレーヌの『優しい歌(堀口大學の訳による)』に倣ったと立原本人も述べており、ヴェルレーヌのこの詩集にはフォーレが曲を付けた歌曲集もあります。立原自身、まるで楽譜のような装幀のスケッチを遺しているほどなのですが、私個人の感覚だと、立原の詩には、ヴェルレーヌよりもリルケのほうが、そしてフォーレよりもドビュッシーのほうに親和性を感じます。



(信濃追分の秋)


『優しき歌』の「序の歌」では、冒頭で「おまへは どこから 来て /どこへ 私を過ぎて /消えて 行く?」と詠われ、第3連終わりでは「おまへ 優しい歌よ /私のうちの どこに 住む?」と問いかけ、最終の第4連では「それをどうして おまへのうちに /私はかへさう」と応え、さらに「夜ふかく /明るい闇の みちる時に?」と謎に満ちた自問自答で終わります。

第1連の「どこへ」、そして第4連最終行の「明るい闇」とは何かということを探るヒントが、立原の書簡に見られます。

「高い空には、砂のような巻雲が、さらさらとながれてゐる。地の上にも、光とかげとが美しい。花はしづかに溢れてゐる。けふは夏の日のをはり。もう秋の日のはじめ。大きな大きな身ぶりを描いて、不思議なひびきが空を過ぎる。しかし、僕らが明日を知らないこと!
ただ出発だ。どこへ? だれのために?」

これは水戸部アサイに宛てられた昭和13年9月4日付の書簡です。手紙ですら、このまま詩になるような立原の文章に溜め息が出ますが、この自問自答は、以下のように手紙を宛てたアサイの内へと帰結します。

「僕には信じられないくらゐの 不思議な美しい夏。それは、もうふたたびはくりかへしも出来なければ語ることも出来ないだらう。ただ出発! どこへ? おまへへ! 一層ふかく『僕ら』へ!」

しかしそれでも、そう記した立原は、この恋人を置いて尚も北に向かうのです。





「どこへ?」ーー wohin? ーー これは立原文学を理解するための一つのキーワードなのですが、これも明らかにゲーテの「dahin! 彼方へ!」の影響を受けているでしょう。「君よ知るや檸檬の花咲く国」…『ヴィルヘルム・マイスター』中のミニョンの歌として、あまりに有名な詩の一節です。立原がまず向かったのは北の盛岡でしたが、そのあと南の長崎に行っていることも興味深いです。南への憧れからイタリアを目指したゲーテは、『イタリア紀行』で「原植物 die Urpflanze」というある種の概念を発見したと記しますが、立原が見たものは何だったのでしょうか。
(2017/10/30)

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