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柴田南雄の《優しき歌》






前回書いたように、婚約者水戸部アサイを置いて立原は漂泊の旅に出ます。漂泊と言えばすぐに思い浮かぶのが、漂泊の魂 ーー ヘルマン・ヘッセの『クヌルプ』ですが、実際、これについてもアサイ宛の書簡に言及が見られます。

「おまへはクヌルプをよんだだらうか。あの漂泊の魂を。僕はおまへがヘルマン・ヘッセのところへ行くことをねがふ。
(…)
僕には ひとつの魂が課せられてゐる。どこか無限の、とほくに行かねばならない魂が、愛する者にすら別離を告げて、そして それに耐へて。だが、その魂は決して愛する者を裏切ることには耐へない。別離が一層に大きな愛だといふこと、そして僕の漂泊の意味。おまへにも また、これに耐へよと 僕はいふ。僕たちの愛が、いま ひとつの 大きな別離であるゆゑに。」(昭和13年9月1日付水戸部アサイ宛書簡)

この書簡に書かれている経緯が投影された詩が『夢のあと』に続く『また落葉林で』であり、この詩の第2連でうたわれている「そしていま おまへは 告げてよこす /私らは別離に耐へることが出来る と」という詩行は、まさにこのことを表しています。立原とアサイの愛の行方の分水嶺とも言えるのが『また落葉林で』なのです。

しかしながら柴田は『また落葉林で』には付曲せず、『夢のあと』から『樹木の影に』まで、実に4篇の詩を飛ばしています。詩集『優しき歌』成立の背景として重要な詩を抜かしたことに、当初は疑問を抱かざるを得ませんでした。





先の post で『さびしき野辺』での解釈の齟齬について書きましたが、時々ふとした折に自分の内で『落葉林で』の中の「ごらん かへりおくれた /鳥が一羽 低く飛んでゐる」という言葉の背景で、ピアノが奏でる鳥の囀りと羽の音が清(さや)かに蘇り、身体じゅうが痺れるほどの共感を覚えるにつけ、この曲が終戦直後に書かれたことを考えても、死と隣り合わせで生きて来た柴田は、死への恐怖や拙劣な生への執着を超えた美しい音楽を求めたのかも知れない、と考えるに至りました。むしろ、凄惨な戦争を生き延びた柴田が、なおもロマンティシズムを失わず、このように瑞々しくもドラマティックな曲を書いたということのほうに、積極的な意味を見出したほうが良いのではないだろうか…と。だからこそ、まばゆい光に満ち溢れた『樹木の影に』で、このツィクルスを閉じたのではないでしょうか。





前出の『また落葉林で』の最後の2行で、「しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし…… /かへつて来て みたす日は いつかへり来る?」とうたわれている、「みたす日」が帰り来たのであろう『樹木の影に』をもって、この歌曲集は終えられたのではないか。この考えを自分の中のひとつの決着点にすることで、少し柴田の音楽に歩み寄れる気がしてきたのでした。
(2017/11/01)

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