趣味

デッサンまとめ

Photo

ブログを再開してみて、そう言えば、デッサン関係は鳥の剥製の下描きまでしかアップしていなかった(^_^;)ということに気づいたので、その後の「デッサンまとめ」です。 鳥の剥製は、上のようになりました。あと、透明水彩は以下の二点のみ(笑)

24
35

その他は、美術解剖への興味から、人物の、それもクロッキーが主です。そのうちの二点。

Photo_2

2012_10

オマケ。オシドリの剥製。あまり上手く行ってないですね(^_^;)。

1379038513830.jpg

一人の人間に与えられている時間には限界があるので、デッサン教室も通いきれず一年半ほど行っていません。また時間に余裕ができたら、ぼちぼちやりたいと思います(^_^)。 (2013/09/13)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

光の粒子? 色素の粒子?

私は根っからの文系人間なので、タイトルのような言葉には無縁の生活を送っているのだが・・・

「光」で考え込んでいるのは、息子の言葉。2歳くらいの、まだ言葉もロクにしゃべれなかった頃、彼はよくアイスコーヒーにミルクを入れるのを見て「カーテン」と言っていた。あの、ミルクが小さな渦を巻きながら沈んでいく様子が、カーテンが風にひらめく感じに見えるのかな、とずっと思っていた。

しかし、一年ほど前だろうか、あれは、朝カーテンを開けた時に、部屋に光が差し込んでくる様子だと言うではないか! これには、本当に驚いた。コーヒーが闇の部分で、ミルクが光だと、はっきり言うのだ。彼には、光の粒子の動きが見えているのだとしか思えない。そういえば、色彩の微妙な差異にもうるさい人で、とても小学生とは思えない渋い(濁っている、というのとは全然違う)色彩で絵を描いたりするので、光と色の人なのだろう。我が息子ながら、凡庸な母には想像するしかない。すまぬ。

そんな私も、最近、通っているデッサン教室で水彩に挑戦するようになった。木炭でのモノクロの世界でも、光と影の濃淡の深みにはまっていたというのに、色彩あふれる迷宮にまよい込んで、いささか困っている(笑)。

Photo_3モノクロ時代の総決算?となった、この水牛のしゃれこうべは、プラスチックの模型ではなくて本物だったので、眼窩の中や眼の下の表面の質感など、興味深く観察しながら描いた。某解剖な方にもお褒めの言葉を頂戴したが、歯科な方でもあるその人には、「歯は適当に描いただろう」とズバリ言われてしまった( ̄◆ ̄;) 。リンゴがチャーム・ポイントだと自負している。

Photo_4そして、水彩の第一作目がこれだ。 この、なんということのない静物だが、問題は机の色。よく会議室においてある、あの長方形の机なのだが、師匠曰く「単に茶色っていうだけじゃないでしょう。よくよく見てみると、紫っぽい色も混ざっているよね。そういう所までよく見て塗らないと、物と机とがバラバラになっちゃうから」と。

「ええ~」と思ったが、茶色に紫を混ぜて塗ってみると、確かに落ち着いた感じになった。

Photo_6 しかし、水彩第二作目の、この剥製。まだデッサンの段階だが、 この鳥は、お腹が白く、背中がブルーグレー。「あの綺麗なブルーを表現できるといいね。あとは、止まっている木なんだけど、あれも茶色の濃淡だけじゃないでしょう」と先生。「影の濃淡も、っていうことですか?」と私。「もちろんそれもあるけれど、あの鳥のブルーが映ってきて、青っぽい色も見えるよね」「ええっ、すみません、私にはあの中に青色は見えない~」「いや、よーく見てください。茶色だけじゃない、いろいろな色素が見えてきますよ。」

お腹が青いのなら、まだ解るけれど、どちらかというと、お腹の白に、木の茶色が映る感じなのではないだろうか・・・・と困惑してしまうが、この師匠も光と色の鬼(笑)なので、私などには到底理解の及ばない、色の粒子が見えているのだろう。

センスというものは、努力は当たり前のことで、その先にあるものだと痛感する。事業仕分けに代表されるルサンチマンの蔓延している昨今、謙虚に受け止めたいものだ。(2010/10/30)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モリエール、再び、のその後

Photo 前回の記事のその後、である。あまり差が判らないかも知れないが、これでも結構がんばったのだ・・・sweat01 

よく先生に指摘されるのだが、細部に捕らわれるあまり近視眼的になり、どんどん全体が黒くなっていってしまう傾向にある。石膏像のはずが、ブロンズ像のようになっていまう、ということだ。髪も、前よりもかつらのようになってしまったかも知れない。

奥行きも・・・あまり感じられない・・・か(汗)。

光と影と線。終わりのない探求であるsad (2009/08/24)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モリエール、再び

Photo モリエールである。ここのところ何だかんだで行けずにいたデッサン教室で久し振りに。前回とはほぼ反対側から挑戦。

それにしても、西洋人にはよくあることだが角度が変ると全く別人のようだ。それでも、某解剖学の専門家から「前回のよりも、今回のほうが良く描けている」とお褒めの言葉を頂戴したので、アップした次第。顔の骨格がちゃんと人間のバランスになっているらしい(笑)。ちなみに、先生にも「顔はかなり正確に描けていますね」というお言葉を頂戴したのでご機嫌であるhappy02

ちなみに、前回のはこちら(downwardright)。Photo_3 本人としては、今回のほうが苦労しているのだが、頭部と胴体とのバランスも今回のほうが上手く行っているらしい。なかなか集中力が持続せずに苦労している分、慎重になっているのかも知れない。何事もそうだが、「調子いいぞ!」と思っているときほど、ポカをやっていたりするものだ。些細なことにも発見あり。(2009/08/11)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『私の血はインクでできているのよ』

Photo 久世番子著(講談社)のこの漫画は、久し振りにツボにハマってしまった。前作の『番線』(新書館)もかなり親近感を抱いたものだが、今回は「うんうん、あったあった」「みんな(?)そうだったのね~」とひとりごちながら一気読み(笑)。

何を隠そう、私も小学生の頃は「お絵かき少女」で、「なりたい職業」はズバリ「マンガ家」だった。それがどこで間違えたのか、今では絵ではなく言葉と音楽を相手に玉砕する日々・・・

しかし、手指の皮膚疾患でヴィオラを弾けない年月、ならばと思いデッサンを習い始めたせいか、また「お絵描き」魂が少し戻ってきている。きてはいるが・・・・やはり、元が本格デッサンではなくマンガお絵かき出身のせいか、今さらせっせとデッサンを描いても「芸術」に昇華させることなど、到底無理っぽいことも再確認している。

かと言って、それならばマンガ家にならなれそうなのか、と言えば「とんでもない!」。言うまでもなく、マンガは絵を描けさえすれば良いわけではない。ストーリーを創り、コマ割りをして話を進めなければならない。そんなこと、とてもではないが私にはできない。

と、ここまで考えて思い当たったのだが、実はマンガは、表現形態としてはオペラに似ているところがあるのではないか? どこまでをセリフ(言葉)で表現し、どこまでを絵(音楽)に任せるのか? コマ割りなど、まるで演出ではないか(少々牽強付会か)。

絵を描くのは好きだけれど、美術にもなれず、漫画にもなれず。そんなどっちつかずの我が身は、高校の美術部で部長をしていながら美大ではなくマンガ家への道を突き進んだこの「番子さん」キャラクターに非常にシンパシーを感じてしまう。いや、番子さんは立派に漫画家として立っていらっしゃるのだから、どちらにもなれない自分と一緒にしてしまうのは失礼極まりないのだが・・・

それにしても、「おひめさまを描く練習」「バレリーナを描く練習」「金髪にバラを描く練習」(いずれも本書より)・・・・ええ、毎日励んでいましたとも。あの日々を思い久々に手帳の片隅にボールペンで「オスカル様」と「アントワネット様」を描いてしまった。受験期でも大学ノートは落書きだらけ、、というあたりも、身に覚えがありすぎて・・・・・typhoon  

番子さん、願わくは『太宰治の「富嶽百景」のまんが』(本書77ページ)を世に送り出してください!fuji (2009/03/23)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モリエール

Photo_2 モリエールである。ただし、未完成。木炭紙に木炭で。『ナクソス島のアリアドネ』→『町人貴族』→モリエール、という連想で、通っているデッサン教室で制作中のものを無理矢理?アップ(笑)。

髪の毛の表現に苦心惨憺、熱中するあまり、首から下がおろそかになってしまっているので、描き込みはじめたところ。と言っても、このところ忙しくて、少し前の話題なのだが・・

ちなみに、下の写真がクロッキー。(2009/01/31)

Photo_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)